「混合→母乳」経験談


たっこさんの場合

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〜うれしくて!日記に「完母記念日」と記入しました〜



母乳のみになった時期  : 1ヶ月と26日(約2ヶ月)



妊娠中は出産のことで頭がいっぱいで、おっぱいは産んだら出るもんだと思い込んでいました。
9ヶ月まで会社勤めしていたのでろくに母親学級も参加できず・・・
お風呂で乳首をちょっとひっぱる程度でおっぱいマッサージもしていませんでした。
出産後、30分以内に助産師さんが初乳をなんとか吸わせてくれていました。
「とにかく泣いたら吸わせる」の指導だったので吸わせ方があると知らないまま乳首の先っぽだけずっと吸わせていました。
そしたら両乳首の先が赤くて激痛が!
血豆ができてしまいました。
助産師さんから涙がでるほどの痛いマッサージと乳輪部まで銜えさせることを教えてもらい、授乳の度に激痛が走るので赤ちゃんが泣くことに怯えながらの入院生活になってしまいました。
搾乳してもあまり量が出なく、ミルクを足すことになりました。
もともと大きなおっぱいなので「無駄にでかいおっぱいだ」と自分を責めて、母乳で育てたい気持ちがいっぱいだったので涙が止まらなくなり、仕事中の夫に泣きながら電話して「おっぱいが、おっぱいがぁぁ、痛くて出なくて〜」と本泣きしました。
夫は優しく「今日絶対に遅くなっても会いに行く」と言ってくれなんとか落ち着きました。
後で聞くと夫は私の鳴き声で赤ちゃんが亡くなったのかと思うくらいだったそうです。
それから寝てもさめてもおっぱいおっぱいと考えるようになってしまい、インターネットでこのサイトをみつけお気に入りにしました。
退院して1週間経ち産院のおっぱいトラブルに行ったり、有料のマッサージにも行きましたが相変わらず授乳の度に激痛が・・・両乳首に白斑が出来ていました。
それは針で刺されたような痛みがあり、授乳後も眠れないほどチクチク痛みました。
お餅がいいと周りから聞いていたので3度の食事に食べていたのが原因だったのか?!マッサージの先生からは「お餅は詰まりやすくなるんだよ。ママの食が細くて痩せてる人とかにはお餅はいいけど」って言われて母と私は大ショック。
よかれとわざわざお餅をついてくれた父と母・・・後で笑いましたが。

マッサージには3回通いました。白斑部分を開通させてもらいましたがほんとに痛かったです。そしてまたすぐ詰まったり。マッサージ代もバカになりません。ミルクが十分買えてしまいます。授乳が苦痛で育児なんて楽しいことなんてなんにもないとまで思ってしまいましたが、それでも母乳にこだわり夫も気が済むまでやってごらんと言ってくれました。
それから1ヶ月過ぎまだ痛みはあるけどその痛みに慣れてきました。
1ヶ月半くらいで白斑も消えつつありましたがミルクの量が一日に50ml×2〜4回だったのが飲み終わっても泣くので1回の量が70ml〜100mlになってきました。
それでも泣き止まない時もありこの子はいつも腹八分なんだとかわいそうになりましたが、これではいかんとまたこのサイトを見て励まされ、なんとか1日に夜1回50mlになってきました。
完母の道は近くなってきたなと実感してきました。
そしてついに2ヶ月ちょっと前にして完母になりました。
めちゃくちゃうれしくて日記に完母記念日と記入、母にも電話しました。
ミルク缶の大きめを開けたばっかりでしたが(笑)
今も白斑があり激痛が走りますがうれしいかぎりです。

2008/04/17に寄稿いただきました。




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